この情報社会で情報、情報と大騒ぎしてかき集めると、情報洪水におぼれてノイローゼになるだけだ。
いくらたくさん情報が入ってきても、本質的なポイントは、3つか4つくらいしかない。
それを見抜くには、情報の解釈力が必要になる。
情報の解釈は、コンピュータでなく、人間様がやる。
人間のネットワークの値打ちはますます高くなる。
さらに、情報の鉄則はギブーアンドーテイクにある。
ギブする力のないところには、デイクする力もない。
パリとミラノがファッション情報の発信源である限り、人々は、仮に飛行場がなくても、その情報を取りに行くだろう。
情報を発信する所はいつでも情報が入ってくるから、結局は滅びない。
ニューヨークが滅びなかったのは、そこにある。
ニューヨークは金融、ファッション、映画、音楽、文学に関して情報の発信機能を失わなかった。
情報社会は、厳しい社会である。
情報に対して価値のなかった時代には、そういう差はなかった。
ものに価値があったときには、工場をつくればよかった。
情報に価値のある時代には、自分で発信できる情報を持ち、解釈できる力を持たなくてはならない。
これは都市も人も同じである。
だから情報の東京集中も避けられない。
大阪育ちの企業が本社機能をどんどん東京へ移転させている。
薬の御本山道修町ですら東京情報に圧倒されている。
戦前はそんなことは考えられなかった。
かつては政治の情報発信地が東京なら、経済の情報は大阪がにぎっていた。
大阪にいま欠けているのは、情報の発信機能である。
いくらハード施設を充実させても、そこに魅力的な情報がなければ間の抜けたハコに過ぎない。
情報格差の時代を生きる情報の価値がどんどん高まるにつれて企業は集団性よりも、個人の能力発揮を重視するようになる。
選択の自由が広がるにつれ、個人差が大きくなる。
情報力における個人差が待遇における個人差につながる。
日本社会は嫉妬社会であり、そのかねあいが難しくなっている。
私はおおいに「能ある鷹は爪を出せ」とか「出る杭は打たれるけれど、出ない杭は腐る」といっている。
他人の嫉妬がいやだから能力を出さないというのでは、能力が腐っていく。
少しぐらい出る杭になっても、どうということはない。
日本では超一流というのは少なく、本人は能力、個性があるつもりでも、実際にはそれほどの能力差はない。
むしろ思い切りやってみて、それで失敗してもいいではないか。
飯の食い上げになるわけでもなし、路頭に迷うわけでもない。
技芸技能はつまずき、失敗し、怪我をしてこそ伸びるものだ。
家事代行の失敗しない選び方を紹介します。期待できる家事代行です。


